新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第30回 伴野麓

日付: 2024年02月20日 12時39分

 『海部氏勘注系図』や『尾張氏系図』、あるいは『和邇氏系図』などに表れる建田背という人物のことだが、建田背は大宇那比とも称され、妹の宇那比姫は孝昭の兄・天足彦国押人の妻となっている。
その建田背は、安寧の実体であることを考定したが、『海部氏勘注系図』によれば、「6世孫タケタセ(建田勢)は、笠津彦の子で、一云、ヒコホホデミ(彦火火出見)の孫玉手見、母は笠津姫だ。孝霊(大日本根子彦太瓊)の世に、丹波国丹波郷で宰(大臣)として奉仕、後に山背国久世郡水主村に移った。山背直等の祖である。後にまた大和国に移り、葛木高田姫を娶り、建諸隅を生んだ。一云、天御蔭、一云清日子だ」とある。
ということになれば、孝霊の実体でもある可能性があり、また大己貴が建田背の別名なら、スサノオの子でもあり、清日子であるなら、アマノヒボコにも通じることになる。皇孫6世で、和珥臣ら16氏の始祖とされる天足彦国押人にも該当する。
そのように、建田背はまさにマルチ人(神)格ということになるのだが、『日本書紀』などにモデルとして引用されたものの、その痕跡を消すために無視された人(神)格ということにもなるかもしれない。

磯城=忍=五十=辰城は押海(全羅南道)海人族が定 着した地

孝安(日本足彦国押人)の生母はヨソタラシ(世襲足)姫で、五十(忍)王家のお嬢様だったが、その五十(忍)王家は磯城王国であり、辰朝の末裔を自負する渡来人集団が開拓した新天地の辰城(シンキ)王国のことだ。
辰城は、押海海人族が定着したところでもあり、押海(アッペ)は阿倍、阿閇などに通じる。天足彦国押人の娘である押姫は、十市県主の五十坂彦の娘である五十坂姫ということであり、天足彦国押人と五十坂彦は同一人物ということになる。
孝安(日本足彦国押人)は、伽耶(意富加羅)の御真津(任那津)から渡来した観松(御真津)彦の香殖稲(海の統領)の子であり、母は尾張連らの遠祖瀛津世襲の妹世襲(五十・磯城・押・忍)足姫で、外祖父は天忍(五十・磯城・押)男で、天香語山(高倉下)の孫だという。
また、天足彦国押人は丹波海部氏の始祖だといい、『旧事本紀〈天孫本紀〉』によれば、火明(彦火火出見)→天香語山(鵜草鵜不合)→天村雲(神武)→天忍人(綏靖)→天戸目(安寧)→建斗米(懿徳)→建田背(孝昭)→建諸隅(孝安)→倭得玉彦(孝霊)という系譜になって、孝昭の実体が建田背、孝安のそれが建諸隅という可能性もある。
孝安朝に大神を奉斎したのは三見宿禰ということだが、その三見宿禰が孝安の実体という可能性もある。その系譜は、ニギハヤヒ(饒速日)を氏祖とする物部氏の祖流で、(神武朝)宇摩志麻遅→(綏靖朝)彦湯支→(安寧朝)大禰→(懿徳朝)出雲醜大臣→(孝昭朝)出石心大臣→(孝安朝)三見宿禰→(孝霊朝)大矢口宿禰→(孝元朝)欝色雄→(開化朝)大綜杵という系譜で、歴代大王に奉職したというものだ。


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