新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第28回 伴野麓

日付: 2024年02月08日 10時25分

 『日本書紀』は、懿徳の正妃を事代主の後裔としているが、『古事記』は、事代主ではなく、美和(三輪)の大物主=ニギハヤヒの娘として位置づけている。
ニギハヤヒの子ウマシマチ(宇摩志麻治)の3世孫に大禰・出雲醜・出石心の3兄弟がいるが、懿徳の時代に大神を奉斎したのは、大禰の弟に当たる出雲醜であるから、醜を含む人(神)名となれば、葦原醜男を想起する。あるいは、出雲醜はその葦原醜男がモデルではなかったかと思われる。というのも、葦原醜男は出雲の人(神)格でもあるからだ。
懿徳が架空の存在なら、出雲醜が懿徳に代わる大王だと思われる。また、懿徳にはアマノヒボコ(天日槍)の影もちらほらする。懿徳の子は多遅麻竹別らの祖になったというから、アマノヒボコと由縁の深い但馬とも深い関係にある感じだ。
懿徳の都である軽曲峡宮は、「軽」が加羅=伽耶の転化であることから、伽耶と関係が深い人(神)格だと思われる。


 〔孝昭紀〕

孝昭朝に大神を奉斎した出石心はアマノヒボコ?

懿徳朝に大神を奉斎した職にあった出雲醜が懿徳の実体ではないかと提起したが、出雲醜は、醜が葦原醜男の醜を想起させ、葦原醜男が大己貴の別名であり、また出雲の人(神)格であることから、大己貴を想起させるからだ。その出雲醜の弟が出石心で、孝昭朝に大神を奉斎したとある。
孝昭には2人の子がいて、長子の天足彦国押人は和珥臣らの祖になったとあり、次子の日本足彦国押人が大王位を継いだとある。その2人は、天と日本が違うだけの似た名前だから、何か作意を感じる命名だ。
天が付く人(神)格は、一般に韓地から渡来した人(神)格に付けられるということだが、であれば、天足彦国押人は渡来人ということになり、弟のほうは日本が付くから、大和で生まれたということのようだ。
とまれ、日本という名称は、ニギハヤヒ(饒速日)は空から大和の地をみて、日本と名付けたという伝承もあるのだが、普通は、天武朝の頃に「倭国」という蔑称のような名称を嫌って、「日本」に改称したということだ。であれば、日本足彦国押人の日本も、『記・紀』編纂の頃に付加された名称のように思われ、実際は、兄弟でもなんでもない関係であったのかもしれないとも思われる。

孝昭は伽耶から最初に渡来してきた王

観松彦香殖稲は伽耶から最初に渡来してきた王の意で、特定の人物ではなく、普通名詞だということに、まずびっくりしてしまった。また、足・帯(たらし)という形容語句が扶余種族の統領の尊称だということにも驚いた。


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