草薙剣の献上は倭地を征服したことの報告
ヤマタノオロチの実体がどのようなものであるかを徹底追求してみると、結果は三つの新発見があった。
その一は、ヤマタノオロチは、銅器(銅文化)を駆使する濊族の統領、親分であったということだ。スサノオがヤマタノオロチを退治した十握剣は、天津羽羽斬(ははきり)剣とも呼ばれる剣で、「ハハ」は「カゴ(銅)」と同義ということであった。それは、スサノオの剣が銅剣を斬ったということであり、であればスサノオは鉄剣を持つ種族であり、ヤマタノオロチは銅剣を持つ種族であったということになり、鉄が銅に勝ったということになる。
その二は、「八雲立つ」の歌を韓語で解釈した李寧熙の説だが、「八雲立つ」はロマンスの歌ではなく、戦勝の歌だということだ。ヤマタノオロチは濊族で、貊族のスサノオに負けたということになる。檀君神話の倭地版といってもいい結果になった。檀君神話は周知のように、熊と虎が、人間になるために我慢比べをするのだが、結局は虎は我慢できずに熊に負けてしまった。
濊は倭に通じ、倭は濊の国であったのか
その熊が貊族で、その後の韓民族を構成したのだが、虎である濊族は行方不明になってしまった。その濊族が出雲で生きていたということになる。濊は倭に通じ、倭は濊の国であったということになる。その濊族ヤマタノオロチが、出雲で貊族スサノオに敗北してしまったということになり、まさに檀君神話の再現ということになる。
その三は、草薙剣は敗者の剣であり、スサノオがその剣を高天原のアマテラスに献上したということは、出雲を征服したことを報告したことを意味する。その草薙剣が後にニニギ(瓊瓊杵)に授与され、倭地に降臨させたということは、スサノオが征服した地の統治を、ニニギに託したということなる。換言すれば、倭地は新羅(伽耶)の征服地であったということを暗喩する。
ということになれば、その当時の大和朝廷は幻、ということになるのだが、スサノオのヤマタノオロチ退治伝説を深く吟味すれば、倭地こそが韓地の支配地であったということが明白になる。しかし、日本史学界の伝統的思考は、倭地、つまり大和朝廷が韓地を支配していたというあり得ない思考を強弁している。詭弁というほかない。 |