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2023年04月04日 11:48
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新解釈・日本書紀 応神<第76回>
伴野 麓

(93)応神ゆかりの地・つづき
■姫島
摂津国風土記・逸文に、難波の比売許(碁)曾(ひめこそ)神社の由来譚として、「応神の世に新羅国の女神が夫から逃れて、筑紫の国の周防と豊後の間の伊波比灘(現在は周防灘)の姫島(大分県東国東郡姫島村)へ渡来したものの、夫が後を追ってくるかもしれないので、摂津国へ移り住み、その地を比売島と名付けた」とある。
河内の姫島は、昔は海口で、後に稗島(ひえじま)村とも称された。中津川(中島川)と神崎川の間に横たわり、南は伝法、西は大和田で、万葉集に「妹が名は千代にながれむ姫島の小松が末にこけむすまでに」とある。
比売許曾神社が鎮座する所が法蔵山(ほうぞうざん)だ。東生郡小橋村にあるのだが、織田信長の本願寺焼き討ちによって亡失し、本来の地は不詳だ。法蔵山は、神武が命名した愛倶目之山だという。古書によれば、祓所を玉江といい、八十島の壇場であった。
比売許曾神社の別称を難波押照神社、または難波大社、百済神宮、味生大宮、高津天神社、古宇津天王宮などともいう。社伝に「高日女(天探女神)がこの地に天降った時、天磐舟(あめのいわふね)が停泊し、お前の名は高津だといわれると、石舟が光り輝いた」ので、石照神社になったとある。石と押は音が通じる語だ。磐船は石棺で、山は古塚だという。
『新抄格勅符(しんしょうきゃくちょくふしょう)』は、比売許曽神を比売神社と記している。許曽が古くは神社と同じ意味に使われていたからだ。
延喜式は下照比売(したてるひめ)社と記し、古事記は阿加流比売(あかるひめ)神といい、津国風土記や万葉集は天探女(あまのさぐめ)としている。
比売許曽神は天日矛(あめのひぼこ)の妻で、難波渡之神の娘で、古事記や津国風土記は天日矛を応神朝の人とし、日本書紀は崇神朝の阿羅斯等(あらしと)としている。比売許曽が一名を阿加流比売といったことから、高皇産霊(たかみむすび)の娘の明玉と混同され、また一名を下照姫といったことから、味耜高彦根(あぢすきたかひこね)の妹の下照姫と混同されるようになった。
下照姫は大己貴(おおあなむち)の娘で、天稚彦(あめのわかひこ)の妻、味耜高彦根の妹とされ、またの名を稚国玉姫(わくにたまひめ)、あるいは天探女とも称したという。天探女の名は、下照姫が無名雉(ななしきざし)を見つけたことによる。末社に阿遅速雄(あぢはやを)社があり、若宮と称された。延喜式にある東生郡(ひがしなりごおり)阿遅速雄神社は東小橋の姫社に祠があって、その名が廃亡して久しいが、味原の地主神で、阿加流比売の祖の難波渡之神だと伝えている。
垂仁の時に、下照姫は美麗の男女の任那人を誘って磐船に乗って高津に至ったといい、味原池の東畔に10間四方ほどの丘があり、下至土野原(げしとのはら)と称されたそうだ。すなわち磐船山で、比売許曽神(下照姫)の正体だ。

2023-04-05 6面
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