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2022年07月05日 10:32
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新解釈・日本書紀 応神<第49回> 伴野麓著

(63) 京都は丹後の海部氏勢力が掌握
和珥氏族は、九州北部の筑前に存在した海神族の流的存在ではなかったか。2~3世紀、博多平野の那珂川流域に奴国、すなわち葦原中国があり、王族嫡裔が和珥氏だ。和珥氏の宗族は後に添上郡春日に分かれた春日臣氏となるが、北九州にも春日の地名があり、那珂川と御笠川に挟まれた奴国の主領域にあたる。現在の春日市春日がその遺名だ。同地域には弥生時代の中期・後期の重要な遺跡である須玖岡本遺跡・須玖坂本遺跡などがあり、銅鏡など豪華な副葬品が出土したことで知られる。
従来、海神族の阿曇連が奴国末裔とみられてきたが、阿曇氏のほうが和珥氏の支流ではなかったか。また、神武に抵抗した磯城勢力は、葦原中国の大己貴の後裔と見られるが、神武に帰順した弟磯城の黒速が磯城県主となっている。
和珥氏族には、土器・瓦の製造を職掌とする泥部=泊橿部を管掌した羽束首という氏が新撰姓氏録・摂津皇別にある。兵庫県三田市に羽束山(標高524メートル)や羽束川があり、羽束山山頂にある羽束神社(三田市岸崎)の祭神は少彦名だ。
田中巽著『銅鐸関係資料集成』は、伊福部・津守・六人部・尾張などの尾張氏族と小野・布留・和邇などの準尾張氏族(和珥氏族)が銅鐸の使用者だと主張している。谷川健一著『青銅の神の足跡』も、尾張氏族の伊福部氏が銅鐸と関係が深いと述べている。真弓常忠著『日本古代の祭祀と鉄』は「銅鐸出土地がカモ・ミワ氏のみならず、尾張氏とも、さらに物部氏とも関係があることになる」と記している。
日本書紀・神武紀に、磯城邑の磯城八十梟帥や葛城高尾張邑に播踞する赤銅八十梟帥を討滅したという珍彦こと倭宿禰は、ホアカリ(火明)の3世孫だから、京都は丹後から進出した海部氏勢力が大和の地を掌握していたということになる。倭宿禰は、尾張氏から分かれ出て、尾張氏にとって替わったとする和珥氏の流れだという。
古代の倭王家は大筋として、百済・筑紫・吉備・難波の瀬戸内ルートに立つ葛城系の王家と、日本海を背負って、新羅・出雲・若狭・越・近江・山城・磯城を結ぶルートに立つ春日系、すなわち和珥氏族王家の、伽耶系2大倭人勢力の相克を観相することができる。

(64) 和珥氏の祖の天足彦国押人は尾張氏の祖の世襲足姫の子
第5代孝昭天皇の正妃は世襲足姫で、兄の瀛津世襲は尾張氏の祖とされている。世襲足姫のまたの名は日置姫で、外祖父は葛城土神剣根であり、葛城剣根は日置氏だ。その世襲足姫が、孝昭の正妃となって、和珥氏の遠祖となる天足彦国押人と日本足彦国押人(孝安)とを生んだ。旧事本紀・天孫本紀は「尾張氏はホアカリ=ニギハヤヒ(天火明櫛玉饒速日)を祖とし、物部氏と同族」としている。
孝昭の長子である天足彦国押人(古事記では天押帯日子)は和珥臣らの先祖だが、娘である忍鹿比売の忍鹿は、忍の国の意だ。忍鹿比売は「忍国のお姫様」ということになり、この忍鹿比売は、押姫、五十坂姫、忍坂姫などとも表記される。

2022-07-06 6面
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